ビジネスシーンで「あなた」呼びは敬意が伝わらない
ビジネスシーンで敬語を使っていると、普段から使っている言葉についても敬語が疑わしくなることがあります。「あなた」という相手を指す言葉は、敬語ではありませんので、ビジネスシーンではあまり用いるべきではありません。
しかし、代替する言い方がすぐに浮かばない人も多いものです。相手への敬意を正しく伝えるために、「あなた」を敬語で表現する術を学びましょう。
「あなた」が持つ意味と文法上の位置づけ
「あなた」は、どんな意味を持っているのでしょうか。その意味と併せて、「あなた」という言葉の文法上も位置づけも確認してみましょう。
「あなた」の意味
言葉の意味は確認するまでもなく「二人称の代名詞」です。つまり、話し手がいれば聞き手がいわゆる「あなた」にあたります。漢字では「貴方」と書くのが一般的です。
昔は、「そなた」に対する言葉に対するものとして「あなた」が使われていました。「それ」に対する「あれ」のようなものです。しかし、「そなた」が主に身分の高い人から低い方に対して使われていたのに対し、「あなた」は身分の低い人から高い人に対して使われていました。「それ」と「あれ」だと「あれ」の方が距離のある印象がありますが、身分や立場の間にも距離感を感じさせる言葉となっています。
しかし、「あなた」は現代では相手への敬意や身分の違いを表す表現ではなく、ひとつの代名詞に過ぎません。それでもやや距離感を感じさせるニュアンスが残っています。
「あなた」は敬語ではない
「あなた」のことを「お前」や「あんた」の敬語表現だと考えている人もいますが、「お前」は本来「御前」であり、もともとは敬語に値する表現でしたが今はそう解釈されません。一方の「あんた」は「あなた」が口語で使われるうちに変化したもので、敬意を示す表現ではなく、親しい関係を示す表現となっています。
基本的に、現代の敬語では、「敵視しない」という部分と「距離感」が大切になっています。そのため、敬語として使われていた時代があっても、相手(=敵)を示すために使われていた言葉の多くは敬語表現とは言わなくなっていますので注意してください。
漢字で貴がついても敬語にはならないので注意
「あなた」は、マンガや雑誌などで「貴方」「貴女」「貴男」と表現されることがあります。「貴社」などと言うように、ビジネスシーンでは「貴」という文字がつくと敬語になるという印象があります。しかし、「あなた」に関してはそうではありません。
「貴方」「貴男」「貴女」は敬語ではない
「貴方」「貴男」「貴男」は「あなた」を使うよりも、相手に対する敬意や大切に思っている気持ちを表現することができますが、敬語として使うには難があります。「あなた」という呼び方が一般的に敬語として考えられていないことや、「貴女」「貴男」という性別を明確にした表現をすることが失礼になる場合があるからです。
例えば「貴女のおかげで今回のプロジェクトで成功することができました」という場合、言外に「女性だったから」というニュアンスを感じさせてしまうのでNGです。
書き言葉では区別ができても、口語では区別ができません。これらの言葉は、「あて字」に近いもので、親しい気持ちをこめて「あなた」という音を使いつつも、相手を大事に思う気持ちを表すために「貴」という文字を使っていると考えられます。性質を考えると、ビジネスシーンよりもプライベートで用いる表現と言えます。敬語と誤解してメールや書面で使ってしまうと、大失敗となる場合もありますので注意しましょう。ここで、「貴方」「貴男」「貴男」の使用例を紹介します。
- 「貴男の魅力を引き出すためのファッションコーディネート」
- 「貴女の今週の恋愛運は」
- 「貴方のような方と出会えて本当に嬉しく思います」
「貴様」も敬語ではない
「貴様」という表現も、「貴」がついても敬語にはなりません。もともとは敬語としての表現でしたが、現在は敵意がある相手に向かって使われるのが一般的となっており、敬語として解釈されることはありません。
「あなた」の敬語表現はシーンによって異なる
「あなた」を敬語で表現する方法は、状況や立場によって異なります。状況や立場に応じた「あなた」の敬語表現を見ていきましょう。
オーソドックスな敬語表現は「●●様」「●●さん」
相手の名前が分かっている場合には、「●●様」「●●さん」と名前に「様」や「さん」をつけて呼ぶのが基本となります。「様」はより丁寧な言い方になりますのでビジネスシーン向きです。しかし、実際に顔を合わせた状況で使うにはやや距離感が感じられますので、相手との関係に合わせて「さん」を適宜使い分けると良いでしょう。
「様」や「さん」は、話し言葉としても書き言葉としても使える便利表現です。相手に対する敬意のオーソドックスな表し方として、必ず覚えて使いましょう。
- 「不在の間に、●●様からお電話をいただきました。おかけ直しをお願いいたします」
- 「●●さんが、お昼をご馳走してくださいました」
実は正しい「あなた様」
「あなた様」という表現は、実は正しい敬語表現です。名前がわからない場合などには、このような表現も可能です。主に文書で使われ、口語ではあまり使われません。「あなた様」は人によっては大仰な印象になってしまったり、よそよそしいと感じさせてしまったりするので、必然性がなければ使わないほうが良いでしょう。
メールや文書では「貴殿」「貴台」も可
メールや文書など、かしこまった内容である場合には「貴殿(きでん)」「貴台(きだい)」という敬語表現も可能です。例えば、次のように使います。
- 「貴殿の素晴らしい功績をここに賞したい」
「殿」はもともと男性を示す表現ではありますが、現在では女性に対して用いても問題ありません。また、「貴殿」よりも「貴台」の方が丁寧な表現となります。
用法上の注意として、「貴殿」「貴台」は口語では使えません。これらの敬語は口語では大仰で形式張った印象を与えてしまい、かえって失礼になってしまいます。あくまで文書の中で、また内容や他の表現とマッチしているかを考えて使うことが大切です。
役職者は役職名で呼べば敬語扱いになる
相手に役職がある場合は、役職名で呼ぶことによって敬意を示すことができます。「●●さん」「●●様」と呼ぶこともできますが「●●部長」「●●マネージャー」などと呼ぶ方がより相手の立場を明確にしますので敬意を表すことにつながります。特に、第三者がいる状況では「さん」「様」付けよりも役職名で呼んだ方が全体のコミュニケーションが円滑になるでしょう。
- 「今回のプロジェクトのために●●マネージャーもご協力願えますか?」
- 「●●さんがご協力くださるなら大船に乗った気分です」
また、「社長」「部長」と役職名だけで呼ぶのは、基本的には避けた方が無難です。企業の規模によっては、同じ役職名を持った人が複数人いるからです。自明である場合のみ使えると考えましょう。しかし、人によっては不快にさせる場合もあるため、名前と役職名をセットで使うのが適切です。
役職名をつけて呼ぶことに慣れすぎていると、「●●部長さん」と読んでしまうことがあります。「●●部長様」も同様で、役職名ですでに敬語となるため、「さん」や「様」を足すことで二重敬語となり、間違った敬語になりますので注意しましょう。
自社の人は役職者であっても、外部の人の前で役職名では呼ばないようにしましょう。自社の社員の話を外部の人にする際は、次のようになります。
- ×「弊社の●●マネージャーが今後は私に代わり御社の担当となります」
- ○「弊社の●●が今後は私に代わり御社の担当となります」
役職に「殿」をつけて呼ぶのは宛名の場合のみ
文書では「殿」を役職名につけることがありますが、あくまで宛名だけです。文中で使うと、時代劇のような印象となり滑稽に思われますので注意してください。
- ○「▲▲株式会社 事業部長殿」
- ×「■■部長殿、本日はいかがいたしましたか?」
公務員に対しては「貴職」という表現もある
相手が公務員である場合には、「貴職(きしょく)」という敬語表現もあります。手紙やメールなど、基本的に書き言葉として使用する敬語です。「貴職」には、「高い地位の官職」という意味もあり、企業などで言う部長や社長などの表現に近いものです。民間企業ではまず使わない表現ですので、気をつけてください。
皇族・王族への「陛下」「殿下」
身分制度が無くなった今の日本においても、皇族や他国の王族に対する特殊な敬語表現は残っています。在位している天皇・皇后・皇太后・太皇太后に対しては「陛下」と使いますし、またその他の皇族に対しては「殿下」と使います。他国の王族への敬称もこれに準じて使います。
部下や後輩に対して「あなた」は適切?
ビジネスシーンでは、部下や後輩に対しても一定の敬意を払ってコミュニケーションを取るのが普通となってきています。部下や後輩相手だからと「お前」呼ばわりをしていると、パワハラだと訴えられることも無いとは言えません。
部下や後輩に対して「あなた」という表現を使うのは問題ありません。ただし、毎日顔を合わせ、一緒に仕事をしている間柄で「あなた」を使うと、かえって距離感を感じさせてしまいます。
相手に失礼なく、親しみを感じてもらうためにも、できるだけ「●●さん」の方が良いでしょう。「あなた」を使うのは、名前を呼ぶことが、かえって失礼にあたりそうな関係の場合にとどめた方が自然です。部下や後輩に対する呼び方の例を紹介します。
- △「あなたがこの件を担当してほしいんだけど」
- ○「■■さんがこの件を担当してほしいんだけど」
部下や後輩を叱る場合にも「あなた」が使われることもある
上司からお叱りやお説教のお言葉を頂戴する際に、「あなた」と言われることがありますが、相手に対して苦情や怒りを表現する際には親しみを感じる表現を挟まないものです。怒らせたことで急に距離感ができたわけではなく、シチュエーション独特の使い方だと思っておいてください。
- 「あなたはね、いつも確認もせずに飛び出していくから抜け漏れが多く、確認やフォローをしてくれるメンバーにたくさん苦労をかけているんだよ!」
「あなた」の複数形についても覚えておこう
英語で「あなた」を意味する「You」は、単数形でもあり複数形でもあります。日本語では「あなた」と言った場合、複数形は「あなた方」と使います。
ビジネスシーンでは「あなた」にあたる言葉の複数形はどうしたら良いでしょうか。基本的には以下の例文のように、「方」「達」を「あなた」の敬語表現に対して加えていけばOKです。「方」は「達」よりも丁寧な表現になりますから、できるだけ「方」を使った方が丁寧で礼儀正しい印象を与えることができるでしょう。
- 「部長、●●株式会社の△△様方がご到着なさいました」
- 「本日は先輩方がいらっしゃることになりました」
- 「先生方がお見えになられました」
- 「部長達が海外出張から戻ってこられました」
「あなた」に限らず敬語はバランスを考えて選択するべき
「あなた」に限ったことではありませんが、敬語は単語ひとつで敬意を示すことができるものではありません。文脈全体として敬意を示すことが大切です。文章全体で敬語のバランスが悪いと、強い違和感が出てしまいます。
例えば「●●部長が社長のお迎えに行かれるそうです。貴殿もすぐ行ってください」という内容なら、貴殿という言葉が浮いて感じられるでしょう。社長や部長という敬意を示す対象が多くいる中で、「貴殿」と表現される人はどんな人なのか気になってしまいます。「行ってください」と丁寧語で指示されていることも、全体のバランスをおかしくしています。
- 「●●部長が社長のお迎えに行かれるそうです。あなたもすぐ行ってください」
- 「●●部長が社長のお迎えに行かれるそうです。××さんもすぐ行ってください」
このような敬語表現であれば自然でしょう。この時「××様」を使うと、またバランスがおかしくなるので注意してください。敬語を使う場合は、全体として敬意をどこに払っているかを明確にすることが大切です。就活生や新入社員のうちは、このバランスがよくわからないままに敬語を乱用していることが多いです。文書であれば必ず一度読み直して、不自然なところがないか確認しましょう。
「あなた」の敬語は状況に応じて使おう
「あなた」は、現代語では敬語表現にはなりません。そのため、状況に応じて適切な言葉を選択することが必要です。どんな敬語を選ぶかによって、相手との距離感や敬意の程度に違いが出てきますので、杓子定規にはせず、状況をよく考えながら使うようにしましょう。正しい言葉遣いを意識しているうちに、適切な言葉を選ぶ感覚が育ちますので、最初は大変ですが地道に頑張ってみてください。