ワーキングホリデーで仕事をした体験談11
ワーキングホリデーでの仕事の探し方や仕事を通して身についたスキル話をご紹介しています。ワーキングホリデーで働く魅力は、仕事で得た小さな経験が、のちに大きな財産となって自分の未来を助けてくれることにあります。ワーキングホリデーで外国に行くなら仕事をしてみてはいかがでしょう。
ワーキングホリデー中の仕事の探し方
ワーキングホリデー中に仕事を探すなら、お世話になっている人や通っている学校の友人に仕事を紹介してもらいましょう。現地の人と対等にコミュニケーションが取れない人間を信じて雇ってもらうには、信頼できる人からの紹介の方が、比較的採用に繋がりやすいです。
頼る当てがない人は、実力行使が就職への一番の近道です。体験談では、インターネットで探した、求人の張り紙をしている店に飛び込んで履歴書を渡し面接をしてもらった、地元の日本人向け雑誌の求人欄をチェックしたなど、積極的な行動が就職に結びついています。
ワーキングホリデー中に仕事をしたいなら、縁や伝手は全て利用するぐらいの気持ちが必要です。見知らぬ土地で仕事を確保するために、最低限のコミュニケーションが取れる程度の語学力は、日本にいる間に身につけておいた方がいいでしょう。
ワーキングホリデー中の仕事の給料
ワーキングホリデー中の仕事で得られる給料は、途上国でない限り日本で得られるバイト料と大差はありません。ここで考えたいのは、日本にはない習慣「チップ」のこと。アメリカやカナダなど、チップを払うことが慣習となっている国では、働きぶりによってもらえるチップが変わります。
チップをはずんでもらえるような仕事ぶりを目指すと、得られる収入を上げることができるかも知れません。チップの習慣がない国で仕事をしても、オーナーに働きぶりを認められれば時給を上げることを期待できます。仕事の基本は世界中同じ。どんな仕事でも誠意を持って努めれば、やがて能力を認められ、収入に反映されていくでしょう。
ワーキングホリデー中の仕事で大変だったこと
語学力に自信のない日本人が外国で仕事をする時に、一番苦労するのが外国人とのコミュニケーションです。最初は「何を言っているのか分からない」ことが多く、オーダーを間違ったり、お客様を怒らせてしまったり、ボスの指示を理解できずにミスをすることが多いです。
ワーキングホリデーの制度を利用する人は、語学力を磨くことも渡航の目的のひとつですから、間違いを恐れずにどんどん自分から会話を仕掛けるようにしてください。経験を重ねることで、やがて相手の言っていることを理解できるようになります。
最初は大変ですが、せっかく外国で仕事をするのですから、このチャンスを活かさないのはもったいないです。恥ずかしがらずに「もう一度言ってください」を繰り返して言い続けましょう。
ワーキングホリデー中の仕事で得たこと
たとえ短い間でも、ワーキングホリデー中の仕事で得られることは、とてつもなく大きいです。「外国語を話す度胸がついた」をはじめとして、「何でもやってみようと思えるようになった」「日本の文化を深く考えるようになった」「日本とは異なる考え方に触れることができた」「視野が広がった」など、ワーキングホリデー中の仕事は自分の考え方を大きく変える転機になります。
日本にいたら絶対に体験できない事ばかりの連続から得られる一番の収穫は、度胸のようです。少しくらいのことには動じず、困難に立ち向かう勇気、困難を切り抜ける忍耐と知恵、どれも一朝一夕に身につくものではありません。
外国で仕事をした経験は、のちの人生において大きな意味を持つことに違いはないでしょう。せっかくワーキングホリデーで外国に行くのであれば、このチャンスを活かし、一回りも二回りも自分を成長させられるよう、度胸をもって仕事にチャレンジしてみてください。
ワーキングホリデー中にした仕事体験談
ここからは、寄せられたワーキングホリデー中にした仕事の体験談を見ていきます。ワーキングホリデー中に仕事をしようかどうか迷っているなら、この体験談を参考にしてみてください。きっと迷っている背中を押してくれることでしょう。
日本にいたらやっていない仕事だった
マカロン(34歳 事務職)
ワーキングホリデー中は学校に通っていたので、友達からの紹介で仕事を始めることになりましたが、他にもネットやお店の張り紙で興味のある仕事を探していました。レストランのホールの仕事やファームでの仕事を経験しました。
時給はレストランが10ドル+チップ代が上乗せ、ファームは18ドルくらいです。月給はそれぞれ600ドル、1000ドルほどでした。
レストランでの仕事ですが、こちらは初めてだったので、とにかくメニューを覚えるのに苦労しました。お皿も本当は片手に最低2枚は持てるのが理想ですが、それができませんでした。
ファームでは市場に出す野菜の選定をしていて、野菜がベルトコンベアで流れて来るので、とにかく速さが勝負でした。朝も早いため毎日5時起きでした。
日本にいたらやっていないことばかりでしたので、何でもやってみよう精神と、物事を楽しむスキルが身についたと思います。普段なら選ばないことを選ぶのは勇気がいることだと思いますが、やってみたら意外とできたってことや、新たな発見ができたりして人生に彩が加わると思いました。
考えさせられた
AU88(28歳 事務職)
台湾でのワーキングホリデー開始時、語学学校にも並行して行っており、仕事情報は語学学校の掲示板から得ていました。飲食店のホールや、日本人学校付近にある病院の受付、翻訳など仕事の種類は様々でした。
台湾人の中学生を相手にマンツーマンで日本語を教えたり、病院の受付を主にしていました。日本語教師の方は時給800元(日本円2400円くらい)で月4回ほど入り、病院の受付は時給200元(約600円)で週5回入っていました。たまに翻訳(中国語から日本語)もしていましたが、1つの案件で1500元(約4500円)程度でした。
私がしていた上記の仕事のほとんどは日本語で、時々中国語を使う程度だったので、特に大変だと思った事は無いのですが、日本語教師は私達が考えたことも無いような質問を受ける事(似た意味の言葉の使い分け方など)があったので、非常に考えさせられる事が度々ありました。
翻訳や日本語教師の仕事ではもちろん、中国語のスキルが身に付きました。病院の受付では日本人学校に通うお子さんが通院される事が多かったのですが、時間があった時にその親御さん(駐在員)から役に立つような情報を聞けたりして、生活する上で色々ためになりました。
英語を話す度胸がついた
ゆい(34歳 事務職)
オーストラリアのパースでワーキングホリデーを1年経験しました。ワーキングホリデーを初めて最初の3ヶ月間は英語学校に通い、ホームステイで約2ヶ月生活しましたが、英語には自信が無かったです。
そのため、日本人が経営している日本食レストランでウェイトレスとして働きました。時給は日本円で800円位でした。ウェイトレスなのでお客様からの注文を正確に取らねばならず、英語力の無い私には最初は本当に大変でした。
オーダーの内容を間違えたり、お客様から質問されても質問の意味がわからず答えられなかったり。冗談を言ってくれるお客様にも、気の利いた返事ができなくて悔しい思いばっかりでした。
でも、常連のお客様の中にはゆっくり英語で話しかけてくれたり、「コンニチワ」とか日本語で挨拶してくれたり、私のことを名前で呼んでくれる方も出来て嬉しかったです。
仕事中は嫌でも英語を話す状況ですから、英語を話す度胸が付きました。当時レストランで一緒に働いた同僚は、今でも友達関係が続いています。
日本人との好みの違いが分かった
Asa(31歳 美容師)
私は27歳の時に、カナダのトロントにワーキングホリデーで行きました。仕事は、e-mapleという日本人専用のサイトで美容師の仕事を見つけました。
トロントの美容師の給料日は大体のサロンが2週間毎でしたが、そこのサロンさんは月給の支払いで1700ドル、そこにチップが大体週に100ドルは確実に貰えました。
仕事を通して大変だった事は、やはり言葉の壁で、お客様の言っていること、従業員が話していることが即座に理解できなかったことが大変でした。ただ、トロントでの美容師の仕事はお客様の要望を聞くことだけではなく、お客様に提案することの方が求められていたので、仕事を楽しむことも十分にできました。
仕事を通じて身に着いたスキルは、英語はもちろん、新しい髪質に触れることにより、どの髪質に対してどのような技術が必要なのか、欧米の方々と日本人の好みの違いを理解できたことが自分のスキルの上達、財産になったと思います。
日本を深く考える機会になった
MT(32歳 事務職)
ワーキングホリデーの時の仕事は、求人の載っているウェブサイトか、実際に町を歩き、店の窓に張ってある求人広告を見つけては面接をお願いするといった方法で探していました。
私が働いていたのは日本雑貨を扱うスーパーマーケットで、荷物の搬入や商品のレジうちなどを経験しました。時給は8ドルでアルバイトなので働けばその分だけもらえますが、働かなければその月のお給料も減るので、だいたい月に平均1400ドルくらい稼いでいました。
日本の商品を扱っているので、現地の人は何のためのグッズなのか、使用法がわからないものも多く、その説明を英語ですることが大変でした。私たちが当たり前に日本で目にしているものは、外国人にとっては当たり前のものではないことを改めて知りました。
この仕事をしていく中で、日本という国の文化や食について、もう一度深く考える機会を得ることができましたし、英語で説明をするという経験が、学校でのテキストだけの勉強と比べて、より実践的な英語力を身に付けるチャンスにもなったと思います。
視野が広がった
ふりかけ(33歳 主婦)
英文レジュメを数十枚印刷し、トロントの街中の求人の貼り紙の出ている店に、ひたすら配り歩きました。インターネットの求人サイトも毎日チェックしたほか、現地で知り合いになった人に現在求職中である事を伝え、仕事情報があれば連絡して貰えるよう、協力を乞いました。
ワーキングホリデー中に様々なアルバイトに就きましたが、一番長く働いたのはサンドイッチ屋です。サンドイッチの調理、接客、レジ、洗い場等々全般を担当しました。時給は8.5ドル位で、月給にすると800ドル程度だったと思います。
最も大変だったことは英語での接客でした。就業当初、英語は本当に最低限しか話せない状態だった為、同僚やお客様の英語を聞き取ることに本当に苦労しました。家に帰ってからも、仕事で頻繁に使うフレーズや単語を中心に英語を勉強しました。
仕事を続けている内に自然と英語での日常会話が身に付き、また、様々な国籍の同僚と仕事をしていた為、自分とは異なる文化や価値観を持つ人の事や、「日本人」としての自分自身の事を度々考えるようになり、自分の視野を広げるきっかけを得ることができました。
今、活かせている
5rin(32歳 接客業)
私は昔、ワーキングホリデーでオーストラリアに行っていました。その滞在中はずっとゴールドコーストにいて、その時、寿司ショップでホールの仕事をしていました。
この仕事の求人を見つけたきっかけは、『日豪プレス』という日本人向けの生活情報が掲載されたサイトです。たまたま家から近く時給もよかったので、すぐに面接希望の電話をしました。
当時の日本人の平均時給は、10~12ドルと言われていました。他のジャパレス(日本食レストラン)は7~9ドルくらいのお店が多かったのですが、私が働いていた寿司ショップは12ドルスタートでした。
6か月働いたのですが、最終的には15ドルまで時給が上がりました。仕事内容はレジやオーダーを取ったり、オーダーをサーブしたり、皿洗いも清掃もありました。結構ハードでいつも大汗かきながら仕事をしていました。ゴールドコーストのちょっと田舎にあるお店だったので、お客様の9割は地元のオージーでした。
なので、ジャパレスでしたが、かなり英語を使い、英語の接客に自信がつきました。これが日本に帰ってきても活きているので、働いてよかったと思っています。
コミュニケーション力が身についた
ゆう(31歳 主婦)
ワーキングホリデー中の仕事は、インターネットの日本語サイトでの求人応募と、街中を歩いて求人中の張り紙があるお店に飛び込みでレジュメを渡して職探しをしていました。
見つけた仕事はカナダ人オーナーのメキシカンレストランでのお仕事でした。バッサーという日本では無いポジションのお仕事を任してもらいました。バッサーとは、サーバー、日本でいうホールスタッフの補助的なポジションのお仕事です。
サーバーはお客さんの注文を取ることが1番大切な仕事です。わたしが任されたバッサーは注文を取ることはできませんので、その他のホールのお仕事を全てこなしていました。
時給は9ドルでしたが、プラスチップが貰えました。月給は1800から2000ドルありました。大変だったことは、超人気店だったため、常に動き続けなければならなかったことです。この仕事を通して、効率よく働くコツ、英語力、コミュニケーション力が身につきました。また、海外で働くことが夢だったので、夢が叶った瞬間でした。
カナダならではの表現が理解できなかった
ぐぅ(31歳 主婦)
ワーキングホリデーは何カ国か行きましたが、カナダでは初めて接客業に就きました。最初はインターネットで仕事を探していましたが、返事をもらえない事が多かったので、住みたいと思った街に滞在し、気になる店に履歴書を配り続けました。
これも返事をもらえない場合が多かったので、精神的にしんどいですが、どうしても働きたかったので、諦めずに頑張りました。その結果、スーパーのベーカリー、ハムやサラダの量り売りコーナーで働く事ができました。
時給は日本円にして1000円ちょっとでしたが、フルタイムで働けました。また、家賃の高い人気の街で、スタッフ用に新築の家を安く用意してくれていたので助かりました。
英語の日常会話は全く問題ありませんでしたが、カナダならではの表現などもあり、理解できない事があったのと、お客さんに品名をだして場所を聞かれた時は全く分からず、大変な事もありした。
でも、日本人のいない環境で働けた事や、焼きたてのクッキーなどをつまみ食いしながら和気あいあいと働ける職場だったので、とても楽しく働けました。
お客様の要望を聞き取るのに苦労した
ゆか(34歳 営業職)
オーストラリアのシドニーにワーキングホリデーのビザを取得して行きました。仕事は、飛び込みで入った日本食レストランです。オーナーに直談判してその場でアルバイトをゲットしました。オーナーと直接話せたことが一番のラッキーだったと思います。
時給10ドルにプラスしてチップという給料でした。チップが良かったので、月に2000ドルほど稼げました。日本円にして20万円にいかないくらいの給料でした。
大変だったのは、注文が多いお客さんの対応でした。当然ですが英語で応対しなければいけないので、お客様の要望をミスなく聞き取る事が時に大変でした。でも、色んな人と話すうちに度胸がついたのが一番の収穫でした。
日本にいたら英語にビクビクしていたような場面でも、切り抜けるスキルをつけることができて、良い経験になりました。
チャレンジ精神に磨きがかかった
りぐみ(40歳 フリーランス)
私は1年間、オーストラリアにワーキングホリデーに行っていました。その間の仕事は、現地で知り合った友達から紹介してもらっていました。仕事内容は、お土産屋さんでの接客業でした。月給は日本円で8万円くらい、周りの日本人の仲間の間では稼いでいる方でした。
その仕事を通して大変だったことは、やはりボスが現地の人だったので、コミュニケーションが若干上手くいかないことがありました。ただボスはとてもいい人だったので、何度も繰り返し言ってくれたりして助かりました。
お土産屋の接客を通して身に着いたスキルは、やはり英語力だと思います。世界各国様々な人と話すことができたので、自然と英語が上手くなりました。そして良かったことは、積極性とチャレンジ精神に磨きがかかったことです。
ワーキングホリデーでの仕事は得られるものが大きい
ここで紹介した、ワーキングホリデーで仕事をした体験談を寄せてくれた皆さんは、レストランのホールスタッフやスーパーの店員、美容師など様々な仕事を経験しています。
語学力が磨かれたのはもちろん、コミュニケーション力がついたりチャレンジ精神が培われたりと、どの仕事にせよ、得られたものは大きいことが分かります。
ワーキングホリデーでの仕事は大変なこともありますが、言葉も文化も違う海外だからこその働きがいもあるでしょう。貴重な経験を沢山積み、自分の成長につなげることができます。